はつね

MOSAIC.WAVをめぐってネットを見てたら(というか、『洗脳・搾取・虎の巻』という曲にあまりにも衝撃を受けたのでググらざるをえなかった)、ちょっと前に出たアルバム『Heartsnative』についてのすごいしっくりくるレビューを見つけた。
人生: Heartsnative

まあ僕の個人的な思い入れがほとばしるところもありますが、ほとばしりのままに書けばボーカロイド(この場合主に初音ミク)という「キャラクター」には独特の物語性というのがあって、彼女は萌えキャラの図像を持っていながら、アニメやマンガや小説といった「人格」を定義するストーリーを持たない、単なるプログラムであるという複雑さを抱えているわけです。(中略)この『Heartsnative』というアルバムで歌われているのは、機械と人間のディスコミニュケーションというか、人間になりきれない「人工物の限界」という哀しさであり、「それでも精一杯近寄ろうとする愛」という、限りなくロマンチックな物語なんですよ。こういうの好きだともう堪らないわけですよ。

「萌えキャラの図像」はあるけど「人格」は無い存在としてのボーカロイドっていうのは目から鱗だなあ。たとえば全然内容を知らない、ネットで盛り上がってるアニメとかで、かわいいキャラクターの姿形は知っていても性格も人格もまったくわからないっていうのも似たような構図になるわけだけども、それでも(さらに作曲者とかがプロであることが前提=安定したクオリティが期待できるとしても)別にキャラソンとか興味を持てないのにミクうたはバンバン聞いちゃうっていうのも、徹底したバックグラウンドストーリーの排除があるからこそという気がする。逆にストーリー性がある程度用意されていたとしたら、ここまで間口の広いモノにはならずにごく一部のマニア向けに音声プログラムとして遊ばれて終わりだったのかもしれない。ストーリー性がおのおののクリエイターに任せられたこそ”人間になりきれない「人工物の限界」という哀しさであり、「それでも精一杯近寄ろうとする愛」という、限りなくロマンチックな物語”が紡がれたわけで。
いやーほんと電気の恋人いい曲だなあ。俺は初めてコンピュータ触ったのがPC-9821の世代なのだけれども、その後に手に入れた自分用のパソコンでHSPをいじくってたりもしてたのでうまく動かなくって試行錯誤したり、やっと動いてうれしかったり、そのへんの懐かし切ない気持ちは理解できるつもり。そのへんのノスタルジーとケイサンキへのピュアな愛情とが込められてるような気がしてほんと好きだなあ。