■新Mac miniデザインについて

新型Mac miniの分解どっかやってないかなってググってた時に見つけたSonyでプロダクトデザインをやっている方のblog。削りだし加工で量産品を作ることのコスト的な難しさについてとか、分解されることを前提した内部デザインについてとかをプロダクトデザイナーの視点から分析していてとても面白い。

escape while you can | 逃げられるうちに逃げとけよ
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目先あるいはこの先も利益を逼迫するとしても、
中長期的にデザイン的に非常に優れたメーカーであると
ユーザーにイメージを植え付け、
ブランド価値向上に繋がる戦略上の投資と取り、
経営者としてGo判断が出せるか。

あるいは長期的にプロダクトデザインの展望が見えており
切削機械への初期投資が無駄にならないと判断できるか。


Teardown Mac mini 分解されてた。内部部品にも塗装するこだわりは必要なのか | escape while you can
まず、一般的な基板よりもかなり濃い色になっている。
一般的なプリント基板はだいたい緑色だ。でもこれは
マウントされる部品に黒が多いから視認しやすくなる等の
理由で、それを除けば緑である必要はない。
これはおそらくコストアップせずに黒っぽくできる、可能な領域だと思う。

しかし、ヒートパイプまわりの部品やフィンが黒い。
その性能を上げるためではなく、
分解された時の見た目の良さを良くするために塗装しているとしか思えない。
この傾向はいつからか知らないが、
少なくとも削り出しMac book proの分解画像を見ても同様である。

全くユーザにとってメリットの無い内部部品への塗装あるいは
2次加工を施すという行為は、正直に言って狂信めいたものを感じる。
こだわりたい気持ちは分からないではない。こんな風に分解されるし。
でもその結果製品が高くなるわけだから本末転倒だ。

このデザインへのファナティシズムがなければ凡百のAT互換機メーカーに埋もれてたんでないの、という気はする。自分はジサカーだけど、コンピュータってたぶん俺含めた大半の自作erが考えているようなパーツの集合体の機械じゃなくて、デザインの要素がもっともっと入った「あたしのパソコン」「俺のパソコン」なんじゃないかと最近思ってたり思ってなかったり。
毎日触ることでそのブランドへの帰着するマインドが高まる現象みたいなのってたぶんあって、それでPCなんか絶対毎日さわるものの代表とも言っていいし、忠誠心の高い顧客へのサービスとしてもデザイン面にコストをかけることが有効だろうという判断が出たんじゃないだろうか。それこそ数百円のコストで出来るコピーデザインのPCが台湾メーカーなんかから出ても(そういえばMacbook Airの時はMSIが妙に安っぽいコピーデザインを出した記憶がある)、数千円かけたオリジナルのデザインは絶対に越えられないし、逆にそういった製品を見たオリジナルの製品の所有者の満足度を高めてくれるだろう。既存技術をどう組み合わせるかというPC業界の中でトレンドを作り出すAppleの立場を自分で理解しているからこそかけることの許されるコストというか。

引用したブログ作者さん的な言い方をすれば”受動”でPCを使おうという人にとっては、もうデュアルコアが出たり出なかったりするころから、あるいはもっと前の段階ぐらいからもうプロセッシングパワーの向上は必要無くなっている人が大部分(だと思う)ってことも大きい。今やiPadが熱烈的に受け入れられる世の中ですよ、今後しばらくも個人の扱うデータで一番重いものはせいぜいYoutubeHD、ちょっとかじってる人で一眼レフのRAW程度なんじゃないだろうか。Vistaで肥大化したOSは7において軽量化し、同じPCを長く保有しようという傾向は強まっていくなかで、長く使えるものを…と探す人の目を5000円高いアルミ削り出しデザインの計算機が奪う、ってことはけっこーあるんじゃないかなあ。

削りだしの工作機械のコストに関して言えば、この削り出しの設備投資が無駄にならないぐらいデザインの方向性がある程度の期間定まっているのも大きいのだろう。ヨーロッパ車ブランドのデザインの統一性に似たものがあるというか。ま、ヨーロッパ車といってもユーロ統合以降はブランドロゴだけつけてれば何でもありみたいになったけど、このへんは統合での競争激化による部分もあるのかしら、そう考えるとAppleの自社OSを基盤にした顧客の囲い込みというか独占というか、それがあるからこそのデザインの統一って考えることもできるだろうけども。

自作PCの世界に10年以上足を突っ込んでいるけど、世の中のPCのデザインが一番ダサかったのはPentium2→Pentium4の間だったんじゃないか。初自作の時安価に手に入るケースがみんな同じような感じで選びようがなかったんだよなぁあん時。結局TWO-TOPの鉄製のそれなりにかっこよかったケースを選んだんだけど、そのあとTWO-TOP一回つぶれちゃったりして、まあ、アレですよね。ムーアの法則を否応なしに実感させられるほどに半導体が目に見えて高速化していったあの時代、「デザイン性」は「実用性」の美名の元に切り捨てられたんだろうか。デザイン性と実用性は両立しえない要素ではないんだろうけど、あまりにも内側がすごい時に外っつらへの興味が薄れちゃうってことがたぶんあって、いまはその揺り戻しの時期だってことなのかもしれない。BMW-Level10みたいなレベルの高いケースも出てきたし、いまジサカーやってる分には結構いい時代のような気がする。ほかの部品もここ10年でずいぶん安くなったしね。あれ、何の話だ?